如是我我聞

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『一億三千万人のための『歎異抄』』高橋源一郎

『一億三千万人のための『歎異抄』』高橋源一郎 朝日新書

文化人×仏教ものは回避がちなのだけど周囲の評判がよかったので読んでみた。

これはすごくいい。高橋氏が『歎異抄』を自分のことばで現代語訳をしている。これは高橋氏の読み方、受け取りなのだ。それを自分が読みながら、自分の読み方、受け取り方を確認していくような、ここは一緒だな、似ているな、違うなと対話していくような読書経験ができる。

「あとがきのあとがき」、「名前を呼ぶこと」がこの本の意図をしっかり語ってくれている。高橋氏ならではの文学、演劇からのことばのうけとめはとてもよかった。

これを教科書的に正しい一つとして読むと言うのではない。あくまでも『歎異抄』を読んだひとりの人間の受け取りを聞くのだ。

できうるなら、みなさんも自ら「翻訳」することで、『歎異抄』ではなく、みなさんひとりだけの『タンニショウ』に出会えるといいと思う。あらゆる本は、いや人間が作る者はすべて、そのように「一対一」の関係の中で出会うべきものなのだから。

『歎異抄』を知らない方が初見で良さを分かるよさはことばの魅力中心かもしれない。そして高橋氏の出会った「フジイクン」を感じるのだろう。高橋氏もあくまで自分は宗教的な見方でこれを書いているのではないとされている。