藤場師の本がよかったので、継続して読むことにした。
『教行信証』の現代的意義 不確かさに生きる一歩 (響流ブックレット)
- 作者: 藤場俊基
- 出版社/メーカー: 響流書房
- 発売日: 2014/12/29
- メディア: Kindle版
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『歎異抄』と『教行信証』。どちらも浄土真宗にとっては大事な本ではあるが、あくまで前者は唯円という親鸞聖人の弟子ともいうべき人物の著作で、後者は親鸞聖人自身の著作である。親鸞聖人自身が書かれた本の方がやはり重要ではないかと思うのだが、あっているのかな?
この本が一風変わっているのが、学会に呼ばれての講演で、内部の学術研鑽について痛烈なお話をされているところ。こういう自由な雰囲気もあるのですね。大谷派には。
副題が、
-権威・権力との付き合い方の作法、「もっともらしい病」との闘い方ー
なのだが、
私たち真宗門徒の権威の源というのは、ここにあるご本尊です。この阿弥陀如来という名として表現された形式に権威の源泉を見る者を真宗門徒というのです。
と定義されている。なので、社会的権力による圧力、あるいは、フツーでなければ ならないという同調圧力に関して、自由であるというのだ。そういったものからの執着を離れ、名号が我々が執着すべきものであるという。それも執着の対象は、どこまでも形式としてのみ。名号、あるいはそれを称する音としての存在。
生きていく中で、自分の思い通りにならないことが多い。しかも、相手が社会的に自分より地位が上であったり、権威があった場合、どうしようもないこともある。でも、心の中まで屈服する必要はない。南無阿弥陀仏があるからだ。これをよりどころに今を生きるということのこころ強さを改めて感じた。
前段で藤場師は、自分がこの本からどう受け取ったかという事を話すことが必要だと思ったと述べられている。『教行信証』は親鸞聖人が記された絶対的なものかもしれないが、そこから個人がどういう受け取りがあって、どう行動するのかというところが本の持つ威力であろう。
自分もブックレビューを地道に続けているが、自身の気持ちと読書の記録というのもあるが、仏教書に関しては、それを内に留めておくだけではなく、誰か一人にでも、本の存在を気づいてもらえればいいと思っている。
『教行信証』は大きい本を買ってまだ読了していないから頑張らなくては。
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