2021年1月7日(木) 19:30-21:00
寺澤真琴師 (本願寺派 清徳寺住職)
真宗ねこねこ法話会
『歎異抄』を読むー第十二条ー
浄土真宗の法話案内
「そのまま」という法話。現在の自分礼讃みたいなお話があって、ちょっと不思議に思うことがある。寺澤師はあるがままの人間の生来持っているものを認めるのが仏教じゃないとおっしゃっている。そして「ぬくいお慈悲」という表現。これをきくとちょっと違うんじゃないかなあと感じることがある。妙好人さんの言葉。これがまた難しいのが、お話しする方の言い方なのか、言葉の使い方なのか、同じ言葉でも捉え方が変わってくる。言葉のイメージとしてはいいけど、今の人がいうと現代の語感が一人歩きしている気がする。私を救うものを私がわかるはずがない。
常套句化しているような表現についての解説は必聴。
最後、まだ説明できるものではないが「救い」とは言葉だと思うというところ。自分はそれをどういうシチュエーションで説明できるだろうか。自分の救いになるだろうか。考えさせられた。寺澤師の続きをいつか聞いてみたい。
たしかに「言葉」は使う人によって違ってくる。
◆寺澤師の歎異抄