2020年12月30日(水) 19:30-21:00
瓜生崇師 (真宗大谷派 玄照寺住職)
真宗ねこねこ法話会
『歎異抄』を読むー第七条ー
浄土真宗の法話案内
「念仏は無碍の一道なり」
瓜生師は、冒頭を「念仏は」と読まれた。「念仏者」ではない。あくまでも「念仏」であるということ。真如の世界から出た南無阿弥陀仏であるということ。
今回、法話をする立場からのお話を聞かせていただいた。どのようなことでも、思っていないことであっても、言えてしまうということ。そういうものであるということ。
どこまでも善人になれない。善人だといえないのがわたしたちなのだ。
そうなんだよなあ。。。
そして親鸞聖人が、「不浄説法」について下品下生におかれたこと。話すことの難しさ、苦悩というところを垣間見せてもらった気がする。
最後の最後も、結局は言葉にならないことをどう紡ぎ出すかということを考えられているそこに、見る側も一緒に考えさせられるのだなと思った。
聞きながら、共に考える回だ。
◆瓜生師の歎異抄