如是我我聞

仏教書、哲学書、お聴聞の記録をつけています。

『法華経』を読んでみた

 

 友だちが「『法華経』の「薬草喩品」が好きだ」というのを聞いたので、いったいどういうものなのかを知りたくて読んでみた。浄土真宗では『法華経』自体を読むことはない。法話の中で先生がお話しされることもあるが、それも先生ご自身の興味によるものだ。

「百蓮華のように最も勝れた正しい教え」

 すごいな。タイトルの訳が。この本は植木氏が「ケルン・南条本」を底本としているが、佐々木閑先生のYouTubeでちょうどホジソンをやっていて、「ああ、彼がサンスクリット本を送ってくれたらから自分が今読めるのだ!」と思うと感慨もひとしおだった。

 自分はまったくサンスクリット語はわからないが、話の節々に植木師が「忠実に言葉を選んで訳している」というのがうかがわれる。なんとなく仏教的にこなれた表現にすることなく、なにかを比喩としているならば、その単語の指し示すとおりに訳すことに注力されているのが感じられる。

 現代語訳→解説となっているのだけれど、なんとも植木師の人間への愛が深い。仏教的な表現だと微妙かもしれないが、この経典を紡いできた人たちに対して「いまからみるとこうしてほしかった」というような言葉がある。それは学術的「意見」なのかもしれないけどそこに自分は経典を「今」訳すということで大乗仏教の流れの中にいるひとりとしての言葉として自分は聞いた。そこがなんともいえず素晴らしい本だと思う。

 経典独特の何度も繰り返すところは省かれ、訳も非常に読みやすい。コーティ・ナユタという単位を覚える(笑)如来や菩薩の名前もその意味で書かれているのが新鮮だ。初めて読んだ自分にもイメージが伝わった。『法華経』をとりあえず先入観なしに読んでみようという人にはとてもいいと思う。 

 友だちが好きだという「薬草喩品」を読んだ。ここは漢文の方がいいのかもしれない。草や木々が生き生きと雨水によって、それぞれの形で発芽し、生長し、大きくなる。大地、植物たち、くも、雨水、そら。

大きな雲が湧き起こるように、如来も世間に出現して、世間のすべての人々を声をもって覚らせる

いいな。ここ。

 宗派の違う友だちのお陰ですごくいい本にであえた。