如是我我聞

仏教書、哲学書、お聴聞の記録をつけています。

『無量寿経』を読む-ZOOM講座-阿難コース 第二回(瓜生崇師)

2021年2月2日開催

真宗ねこねこ法話会『無量寿経』を読む-ZOOM講座-阿難コース 第二回 瓜生崇師

我聞如是~五比丘・阿難まで

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【質問コーナー】
・参考書
この講座を聞くに当たって持っていていいと思う本
『浄土三部経 (文庫版) ―原文・現代語訳・佐々木惠精解説 文庫 –』本願寺出版社

訳と比較してみるのにいい。

 

『浄土三部経』岩波文庫 金子大榮

サンスクリット版もあり、註釈が充実。

 

『聖典セミナー 浄土三部経 1 無量寿経』稲城選惠 本願寺出版社
あえていうならこちら。

 

『浄土三部経の意訳と解説』 高木昭良 永田文昌堂

絶版で手に入らないもの

 

・『大無量寿経』のいわれは?
法照禅師「浄土五會念佛略法事儀讃(五会法事讃)」から来ている。
『無量寿経』も『阿弥陀経』もスカーバティービューハというので、それぞれ大経・小経という。
親鸞聖人が『大無量寿経』というときは、訳品全体を指すとおっしゃる先生もいる。
大には素晴らしいという意味も込められている。

・原典をみるのになにがいいか。
各派の聖典でいいです。

・「人が阿弥陀さまの本願に至るには自力の努力は必要になると思います。努力を重ねて悟りの境地に達しなければ阿弥陀仏のすくいの境地に入ったことにならないような印象を受けました。仏教でいう救いは完成(成仏)することなのでしょうか。もし仏教の途中で死んだ場合不退転の段階まで達していないと地獄行きになってしまうのですか」
すくいは境地ではない。妙好人をみるとあれが境地にみえるけど、わたしたちの縁次第。なぜ境地でないかというと、あてにならないから。本山でいわゆる南無阿弥陀仏の雨に打たれるすばらしい「体験」をしたが、そのときは回心と思ったが、しばらくしたら薄まっていった。それをある先生に相談した。その先生は「わたしはどれだけかかっても絶対に信心を得られない人間であると分かりました。それがわたしの信心です。そういうことはわたしの問題ではなくなりました。」とおっしゃった。
「この間いっていた君の問題は解決しましたか?」
「まだ解決がつきません。」「それはよかった。」
人の信心をはかっていくようなところがある。これは本当のすくいだろうか。自分のすくいを頂点において、あの人はすくわれている、あの人はそうではないというのは単なる差別である。
在野でお話をしてきたある先生が「阿弥陀さんが信心いただいているかどうか差別するだろうか」と自ら信が起こることを自分の問題にされていた。それを本願寺派の教学の偉い人が宗学の論法で切りまくっている法話の録音を聞いたが、教学の上で違うといえるがその人の考えていることがよほど誠実だと思う。
わたしは大丈夫、信心をいただきました、みなさんもいただいてくださいというのは境地。死ぬときにはなんの役にも立たない。これは阿弥陀さんをもっとも疑っている姿。
親鸞聖人が「変わらない」とおっしゃるのは阿弥陀さまを主語にしている。

ひさしぶりにここを聞いたらなんともいえない気持ちになった。自分自身がご信心をいただいた方々とお話しすることがあり苦しい思いをしたから。それがそうならそれでいい。自分には分からない世界だ。いいんだけど、それがまったく信じられないわと思うと同時にそういうのが聞けない自分が狭量なだけなのかとも思い。そもそも信心獲得を気にしてない自分。それは親鸞聖人の「問題にならない」というのと別なんだと思うが。だめなんだろうな、こういうのも。でも途中から仏教を聞き始めた自分からすると、自分で求められないというならそうなんだろうとしか思えないし、実際仏教とは別のところで信じることを信頼してないじぶんがいるのでそうなのだろうとなっているところがある。
教学でこうだからといわれるのも、それが?と思うときがある。自分はいま自分で真宗聖典を開いて自分で読んでいる。その自分にこれはこうだとたぶん教学で正しいことをいわれても、そうですかとしか思わないのと、仏教というのはそういう風に即答されるものなのかと心が冷えていく。だから?と。「犀の角のようにただ独り歩め」ってこういうことがあるから言われるのかな。

・「南無阿弥陀仏がわたしを貫く」という表現
瓜生師の表現。

これは自分の感じ方としてすごくいいなと思う。瞬間的なものを言い表している。破闇。

・浄土真宗は「仏性」がないという立場ですか?
仏性=如来蔵
『涅槃経』一切衆生悉有仏性如来蔵
親鸞聖人は、信心(大信心、阿弥陀さんがわたしを信じる)が仏性であるといっている。
 信心よろこぶそのひとを
  如来とひとしとときたまう
  大信心は仏性なり
  仏性すなわち如来なり  (『浄土和讃』弥陀和讃8【真宗聖典】487頁)
仏性を迷いの親玉だという。迷い続けるのがわたしを目覚めさせる種(『楞伽経』)

仏性についての本は積本を読まなくては。

 

【如是我聞】(『仏説無量寿経巻上』【真宗聖典】1頁)
わたしが聞かせていただいたところは、次のようである。
(我聞如是「我によって聞かれた」)
宗教は、聞く人がいて初めて成立する。教えは聞きたい人がいて、初めて説かれる。教えは説く人と聞く人の共同作業で作られていく。法話はお話を聞きたいという人がいなければ場が生まれない。私自身がわかったふりをして話していることが揺らいでいく。
相依性 真如もそうである。仏教はずっとお釈迦様の覚りを問い尋ねていった人によってできたもの。お釈迦様だけで出来たものではない。
・我=阿難 多聞第一 お釈迦様が亡くなったときに覚っていなかった。
 わたし「でも」ある。「いきとしいけるもの」を指す。仏教の根本として、わたしが我といっているわたしはいない。我は宇宙全体に流転を重ねている存在だ(香月院深励)。宇宙がすべてつながっていなければ、わたしは成り立たない。お互いに成り立つ上でたまたまここにいるわたし。わたしの心も自分のものでない。心は暴流のようなもの。無自性。
「三経の大綱、顕彰隠密の義ありといえども、信心を彰して能入とす。かるがゆえに『経』の始めに「如是我聞」と称す。「如是」の義はすなわち善く信ずる相なり。」(『教行信証』化身土巻【真宗聖典】345~346頁)
書いてあることをそのまま聞かせてもらうということ。われわれはできない。聞いて伺って納得していこうとする。信仰の正体はそうじゃないといっている。あなたを必ずすくうという事実が「如是」。
そんなことできるんですか?となる。わたしたちはどうやっても自分の理性と納得でしか救いを受け取っていけない。阿弥陀さんの救いを拒絶している姿。

自分はどうだ。やっぱりそのままはできない。どうして?なんで?が止まらない。でもそうでしか聞けないなあ。たまに、立ち止まらせられるようなことはある。立ち止まるというか、気がついたら崖っぷちの際にいてびっくりする感じ。
偶然だけど、このブログのタイトルは「如是我聞」からとっている。自分が聞いたことをブログに書こうと思ったからだ。だったら誰にも見られず日記に書いとけよってことだが、読んでくれる人がいるから書いている。時にはそのことについて語らえる人がいるから。

【列挙される対告衆の名前】
・了本際 アジュニャータ・カウンディニヤ 五比丘の中で最初に覚った。
・五比丘 了本際、正願、正語、大号、仁賢 初転法輪の相手。浄飯王の命で出家を止めにいった人たち。結局一緒に出家した。
四門出遊の話。ニレゼン河で沐浴をし、スジャータに乳粥をもらった釈迦から五比丘は離れたが、釈尊は最初に教えを五比丘に説かなければいけないと話しに行く。無視しようとした五比丘だが、その姿にひれ伏すのであった。)
・摩訶迦葉 マハー・カーシャパ。頭陀第一。衣食の執着を払っていった。第一結集のリーダー。
・舎利弗 シャーリープトラ。智慧第一。『阿弥陀経』が説かれている相手。六師外道のサンジャヤの弟子だったが、250人の弟子と共にお釈迦様の元にいった。
・大目犍連 マハー・マウドゥガルヤーヤナ。神通第一。舎利弗と一緒でサンジャヤの弟子だった。
・摩訶周那 マハー・チュンダ。舎利弗の弟。
・満願子 プールナ。説法第一。
・離障 アヌルッダ。阿那律。天眼第一。居眠りしてお釈迦様に怒られて不眠を誓って失明。それにより目覚めた。
・面王 モガラージャ。粗衣第一。
・嘉楽 ナンダ。出家後も美しい妻を忘れられなくてたびたび諫められた(笑)
・羅云 ラーフラ。釈尊の実子。
・阿難 アーナンダ。多聞第一。二十余年間常随して説法を聞いていた。サンスクリット和訳では、阿難はひとりだけ覚っていなかった。
・遺弟 お釈迦様が生きている間に覚りを開けずに、仏道をあゆむもの。
 お経はお釈迦様から直接聞いていない人たちが紡いでいったもの。阿難をお釈迦様がいたときに覚りを開けなかった人として経典に出てくる。
親鸞聖人は、阿難に自分を重ねていたのではないか。お釈迦様の側で聞いて求めていたのに覚れなかった阿難。親鸞上人はずっと求め続けて悟れない自分を抱えて法然上人の元に行かれた。自分に対して説かれたお経だ。

第一回でみた
「それ真実の経を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり」(『教行信証』教巻【真宗聖典】152頁)
の後は、『無量寿経』における阿難のことがずっと引用されている。親鸞聖人は自分を阿難と重ねられたと聞いて読むとたくさんの気持ちが込み上げる。自分は阿難や親鸞聖人のように努力し苦しんだ人間ではない。でも一(いち)覚れないものとして自分のこととして読んで、聞いていきたい。

 

◆『無量寿経』を読む ZOOM講座

luhana-enigma.hatenablog.com

◆『浄土三部経』のブックレビュー

luhana-enigma.hatenablog.com