2022年1月13日(木)19:30 真宗大谷派大津別院
『親鸞和讃』を読む ―かならず煩悩のこほりとけ(1)― 瓜生崇師
【質問コーナー】
覚えている。おばあちゃんの名前と同じ人に惹かれた人のその後の話。その結果仏法を聞かれて、「空」についての本も読まれて。すごいなと思うけど、まあ、たまたまともいえる。なにも確かなことはわからないもんな。
感想の紹介。すごいなあ。説聴一如、ここにあるんだな。自分も聞きたい人のひとり。別の宇宙を持った自分でない人もそうなっていることがわかるってすごい。
【今日の和讃】
無礙光の利益より
威徳広大の信をえて
かならず煩悩のこおりとけ
すなわち菩提のみづとなる
(『高僧和讃』曇鸞讃19【真宗聖典】493頁)
光・・・希望、灯り。生きるのに必要なもの。照らすものと照らされるもの。
光に照らされた人をみたらつらい。照らされてないところにいると辛い。
自分達が知っているのは分け隔ての光。自分だけが照らされていたら一番満足。
そういう光でわたしたちはすくわれない。
無礙光・・・迷った心を透過して、すべての衆生をすくう。
帰命尽十方無礙光如来 仏のはたらき
煩悩 欲 もっともっと
怒り なんであいつが
愚痴 愚かで知恵が病にかかっている。自分以外のものに苦しみの原因を転嫁している。
自分のことが本当に悪いと思えない。
そうなんだよな。ほんと、後で思うことあるけど、口で言えない方が自分かもしれない。その瞬間は認められないのが自分なのかもしれない。あとで反省じゃなくて「後悔」するだけなのだが。
煩悩具足 朝から晩まで煩悩でいっぱいなわれわれ。具足は充ちている状態。100%。
ある煩悩を乗り越えたと思ったら、別の煩悩があるからっていうだけ。どれが一番都合いいかというだけ。思い当たることしかない。
無分別(お釈迦様の覚りの世界) 分別(われわれの世界)
分け隔てたいい方が欲しい。手に入らなかったら苦しくなる。そうやって迷っていくわたしたち。煩悩が邪魔をして本当の世界が見られない。
菩提 本当の覚り ⇔ 煩悩
氷と水はH2Oで同じもの。温度によって固体、液体の違い。
煩悩菩提体無二 (『高僧和讃』曇鸞讃12【真宗聖典】493頁)
【親鸞聖人の名前の変遷】
道源 天曇 源
綽空 親鸞 善信房(生涯名告られている)
↓ ↓ 導
観経 大経に直接アプローチした
親鸞聖人は『浄土論註』を読んで『浄土論』が理解出来た。曇鸞の視点から読んだ。
【曇鸞について】
四論宗で空の教えを学んだ。空の視点で『浄土論』を見る。『大集経』を註釈しているうちに病気になる。長生きしてお経を読みたい!(すごい発想だなあ・・・)陶弘景から仙経を授かったが、菩提流支に唾棄される・・・。(菩提流支が曇鸞に渡したのは何の本なのか気になる)
たしかに本読む時間欲しい。全然ない。お聖教も読みたいけど、会社から帰ったら疲れて聖典開かないこともいっぱいある。ほんと勉強出来る時間って、もうあと少ししかないのかもなあ。
いつ仏法に遇うかは関係ない。
自分も大分遅いのではないかと思う。時間がないなあと思う。
釈尊入滅から500年経って阿弥陀さまや浄土が出来てきた。少しずつ成立していった。われわれが読んでいる大教は5世紀前半と言われている。
【天親菩薩の五念門】
浄土は仏教においてどういうものか見て行った
礼拝門 礼拝する
讃嘆門 仏の名を称える。称名
作願門 止(シャマタ) 阿弥陀さまの世界に生まれる願いを心に作ることに集中する
観察門 観(ヴィッパサナー) 国、仏、菩薩を見て行く →力が入っている。
回向門 あらゆる衆生と生まれていきたい
曇鸞は讃嘆門に注目する。
煩悩と菩提が一緒であるというのを辿っていくと、龍樹にたどり着く。曇鸞だからこそ証すことが出来た。(それがこの和讃か!)
この和讃は、大峯師の本のタイトルになっていた。ものすごくいい本で、法話を聞き始めた自分は初めて和讃の存在を知った。曇鸞讃というのもそのとき調べた。こおりがみずになる。なんという表現だろうとびっくりした。意味がわからないなりに本質的なものを聞いた気がした。あのときGoogleで調べただけのこと(まだ真宗聖典の存在も知らなかった)が今ちゃんと法話で聞けるというのがすごいな。
それにしても、一つの和讃でこれだけのことが詰まっているというのは、親鸞聖人の言葉選びのセンスの凄さあってのことだろう。どこを読んでいってもどんどん深く深く辿っていくことができる。
今回は質問コーナーで瓜生師が「自分の話を聞くだけじゃなくてお聖教に触れて欲しい。聖典を読んでみて欲しい。わからなくても読んでいたら、あっということがある」とおっしゃっていたのだが、自分もそうだなと思ってお聖教を開く機会として、ブログを書きながら聖典を参照するということを始めた。これはなかなかいい。忙しさに流されていたら、本当になにも出来ない自分にはちょうどいい。
◆大峯顯先生の本