『A級戦犯者の遺言』 青木 馨 法藏館
すごくこの本について書きにくい。
歴史的な資料として後世に残すということではものすごく価値のあるものだというのは理解している。
死刑執行直前の東条英機を始めとするA級戦犯の面々の言動に心揺さぶられながら読みつつ、どうしても湧き起こる気持ちがあった。本当にこんなに非の打ち所のないきれいなものだったのだろうか。
自分は特に戦時中の日本軍に傾倒したり、第二次世界大戦後の日米の関係について確固たる自分の意見を他者に開陳したりするようなタイプではない。歴史上の人物として東条英機は知っている。なんかそういうのではなくて、ただ「死が他人に決められている人」としては本当にこんなに美しい最期だったのかなと思ってしまう。これは本の内容がおかしいとかそういうことじゃない。あくまで今真宗を聞いている自分の中の問題なのだ。
この本を購入したのは、以前読んだこの本がすごかったから。
「みんなお念仏ですくわれていった」って後の者が言えるのだろうか。どうしようもないざわつきが自分の胸に起こる。この人たちが死刑になることによって後の人々が本当の幸福な世界を作ることになると言えるのか…。
繰り返し言うが、この本に書いてある事は「すばらしい」し、歴史的価値もすごい。よくぞ数年前に出版されたなと思った。花山氏の肉声のCDもついている。ちなみにCDも聞いたのだが、自分にはどうしても「本当にこんなに美しい最期だったのか」という思いが拭い去れなかった。
後半に青木氏が
宗教的心情や、仏法に無理解な人には花山氏の述懐が虚色に映るかもしれない。あるいは洗脳された姿に見えるかもしれない。
と書かれており、自分のことを言い当てられたのかと思った。
本当のことはわからない。花山氏のおっしゃることがすべてだから。でもあの時代、軍に熱狂し、そして敗戦後の思いをぶつける先のない世間において、こういう形で「終わる」というのが必要だったのかなとも思う。勝手な推測だけれども。辞世の句や仏法を聞かれていたということは本当にそうなんだと思う。これは自分という軸でしか考えられないからなのだけど、美しくないなにかがないとリアルさが伝わらない…。まあ、自分に聞く耳がないのだな。疑いを持ってしか聞けない自分。
ちょうど秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大死刑囚の刑が執行された時に読んでいたので、そのニュースと相まって自分の死の瞬間が迫る時を考えた。