『精読 アレント『全体主義の起源』』牧野雅彦 講談社選書メチエ
ハイデガーを読んだ後は、愛人であったハンナ・アーレントに行ってみようということで。『全体主義の起源』は大部なのでこれこそセールで買った解説書を読むことに。こちらの解説は哲学系Twitterかブログで好評だった。
原典『全体主義の起源』の要所の抜粋とその解説。俯瞰してみた第一部~第三部までの構成についてというのが非常にわかりやすく書かれていて、いけないけど原典理解しちゃった気になるほどである。
ハイデガーの思想がどの辺に影響されているのだろうかという視点で思ったこと。全体主義に関してはナチズムやスターリニズムに関することかなと思ってはいたけど、これは政治的な視点ではなくて、人間が自己を確認していく過程でそうなってしまうはたらきのようなものだということ。これってハイデガーの自覚ととても関係があると思う。人間が自分として生きることの先の社会的、歴史的、そのうえでの政治的結果のようなものを現していると感じた。
人間が本当にものを考えるときには自分の中にもう一人の自己、内なる他者を抱えている。全体主義が依拠し、また作り出すのは原子化されバラバラにされて、そうした思考の前提そのものを破壊された「孤独」な大衆なのである。
政治的・社会的な意味での「孤立」と思考の喪失としての「孤独」、そして思考の条件としての「独りでいること」としての「単独」の区別はその後のアレントの議論でも重要な位置を占めていくことになるが、訳書によって当てられる訳語が入れ違っている場合があるので注意が必要である。
人間がどのようなことを思って行動するのか。歴史からも学ぶところがあるなと感じる。人間の今やっている学問ってなんだかジャンルわかれているけれど、本当はすべてのことはシームレスなんだというのを読書活動を通して最近思うことである。すべてのことがつながっている。
第1部『反ユダヤ主義』、第2部『帝国主義』、第3部『全体主義』がそれぞれ独立した本として出されてもいいのになぜこれが三つで一冊の本なのかというのはなぜかというのもこういう土壌を踏まえていろいろなことが重なって起きているということなんだろう。どこかを切り取って何かを言うことは出来るけれども、アーレントという人は非常に広い視野でそれを見渡すことが出来たのだと感じる。
これは分野で言うと政治学なのか。
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