『宇宙の中の自己の救い『歎異抄』後序』大峯顯 百華苑
とうとう『歎異抄』シリーズ最終巻。
これもまた十七条・十八条と同じくらいよかった・・・!
本の中で大峯師は
宗教的真理を直接に伝える言葉は何といっても語り言葉だということです。
と仰る。その点で「順彼仏願故」で気が付かれた法然上人はすごすぎるらしい。でも自分はお聖教ではないけれど、このシリーズを読むだけでもそれが語り言葉となって自分に流れてきたように思う。
以下メモ。
信心を外から知的に反省することではなく、信心が信心自身を内省すること、宗教的意識の自己反省です。
地獄行きの私だったということに気づいたということは自分の人生に驚きが立ったということです。私どもはこの真実に驚かなければなりません。
お一人の方が最初から最後まで『歎異抄』を語られるのを初めて聞いた(というか読んだだが)。大峯師が大事にされているところは何度も出てくる。繰り返しになるでもそれはそのたびに新しく自分の中に流れてくる。何度も何度も重ねることによってハッとする瞬間が現れる。そういう読書体験をさせてもらった。
自分の気になる条を手に取るのもいいが、最初から一気通貫で読むことをお薦めする。
◆大峯顯師の百華苑シリーズ