大峯師の電子書籍があったので購入してみた。 (なんかはてなブログのリンクがうまくいかない・・・)
こちらは冊子
大峯師は高浜虚子に師事していたのか。俳句をしていらっしゃるのは著書から知っていたけれど、これほどの熱意でもって取り組まれていたとは思わなかった。
前半は万葉集から今に至る「句」についての解説。歴史上の歌人の詠み方をひもとく。ここから感じられるのは、自分の「思い」を伝えるのではなく、詩的直感から紡ぎ出した「言葉」から「もの」が語り出すということ。無限なものから反射されて生まれてくる詩というものの深さ、すごさ。これがいろいろな表現で何度も訴えかけられてくる。この波状攻撃を受けてるだけでも、ああ、こういう世界があるのだという広がりが自分の中へとながれこんできて自分自身の枠が解放されるようなのだ。大峯師の言葉の力がすばらしい。
最近、西田幾多郎の「善の研究」を読んだばかりなので、ところどころ純粋経験が出てきているところがあり、タイムリーに面白く読めた。
前半の俳句に関わるところがかなりボリュームがあるのだが、知らない世界を引き込まれるように解説されていて言葉の力について強くうなずかされるようになる。
そして後半の部分で、真宗の教えについて述べられている。前半があってのこの後半なのだなと思う。ひとつひとつの例えを詩的直感でもって読むことも含めて解説される。
自分は結構詩は好きだ。読むのが好きだ。作る才能はない。というか、祖父が俳句やってて自費出版するほど好きだったので、親しみはすごくある。そのせいか、言葉の先の広がりということに惹かれる。そして言葉というものの不思議な成り立ちと言葉になるしかなかった南無阿弥陀仏のお話しにつながっていくところにぞくぞくする。
大峯師の本で、高僧和讃、曇鸞讃の「かならず煩悩のこほりとけ」を読んだ感動を思い出す。本当に不思議だけれど、ご自分の「経験談」は語られないが、詩的な「体験談」だけでこれほど他者に多くを伝えられるものなのだなとただただ驚く。
今、釈尊にせよ親鸞聖人にせよ、その他仏教を歴史の中で伝えてきていただいたもので直接対峙できるのはほぼ書物だけと言っていいだろう。その言葉を丁寧に受け取る、解釈していくときに、大峯師のおっしゃる花月のコスモロジーを心においてみてみるというのもいいな・・・というかむしろそうありたいと思う。
きっと俳句に興味ないし何の話だろ?と思っていても、読み終わる頃には満足がいくという不思議な本だと思う。言葉に興味のある人は、是非読んでみて欲しい。
◆本の中に出てくる西田幾多郎の「善の研究」
◆大峯師の本のブックレビュー