2020年10月21日(水) 19:30-21:00
瓜生崇師 (真宗大谷派 玄照寺住職)
真宗ねこねこ法話会
『歎異抄』を読むー第四条 その一ー
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自分というものはどこにいるのだろうか。
この腕はわたしか?この胸は?この心は?そしてこれがわたしと思うわたしとはどこにいるのか?
自分の世界にいて何が悪いのだ?と言う人を止めないというお話。自分もこれはとても思う。充実した生活を送っている人に、こういう話がまったく通じないのはわかる。逆に、「なんでそんなことにこだわっているの?」と言われる。
おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし。
誰かのためになりたい。それで満足する真っ黒いものが自分の中にある。そしてできる限りのことはやったと言いたい自分。それが人間の慈悲というところがすごくうなずけた。
人を助けようと思ったら、わたしには智慧がないときがつく。なにがそのひとにとっていいことでわるいことかもわからない。そしてお互いを思い合ってもお互いが悲しいことになることもある。
人を求めるほど独りになっていく。心口各異。そうやって人に合わせて行く自分。
自分の普段の生活から、慈悲と智慧について思いをめぐらせる内容だった。自分はどうなのか。お前はどうなのかというのを自分に問うことが始まる。
誰かのためになりたい。それが誰かに認められたいから。誰かに必要とされたい。そのために心口各異となる自分。わたしが独りになりたくないから。生活の中ではそういうことばかりしている自分を思う。それが悪いと反省はしないけど、そうだなと思う。それだから聞くのだと思う。
◆瓜生師の歎異抄シリーズ