響流書房の新刊。
これまでも土井先生の本を読んできた。
今回のこの本は、読み手を若干選ぶ気がした。①真宗大谷派の教学(とりわけ清沢満之から曾我量深)の知識があること ②真宗大谷派 ③信心、往生、念仏という真宗の根幹部分について興味がある の順で深く読めるのかなと思う。仏教じゃなくて少なくとも真宗に興味のある人でなければこの本の良さはわからない気がする。
自分がよかったなと思ったところは、「信心正因・称名報恩」という法話が全然わからなかったのだか、これが法然上人・親鸞聖人の「念仏往生・信心正因」から変わっていったものであるということ。ここはいままでのモヤモヤが晴らされる思いだ。
次ぎに、なんだか大谷派の近代教学はちょっと斬新すぎるところがあるのかなと漠然と思っていたのだけれど、西田幾多郎、清沢満之、曾我量深の説がどういったところで従来の教学とつながっているのかというのが無学なりにもうなずける説明を見ることが出来た。
もう一つ、近代教学から現代を生きるわたしたちにとっての宗教を考えさせてくれる。「我」というところから一歩も離れて生きていくことが出来ないという出発点。仏教の教えがそうであり、現代人もそうなのだ。そういう視点で見直すともうひとつ新しい読み方が出来るのだという示唆をもらった。
③の方におすすめは二十願と十八願の関係性のところ。ここはまた自分がどうなのかということを考えさせられる。なにしろこの本は結果として土井師の求道なのだ。この土井師の考え抜かれたところを辿らせてもらえる。紋切り型の教義の話よりこういう本が自分は好きなのだ。あなたはこう考えられたのですね、じゃあ自分は・・・とつながっていくのだ。