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本光寺 歎異抄を読む(瓜生崇師)

2020年9月14日(月) 19:30~21:00

本光寺 歎異抄を読む 瓜生崇師

 

m.shinshuhouwa.info

 YouTubeでない場に。お聴聞仲間が乗せていってくれるということで急遽行くことにした。

近所のご門徒のみなさんが懐中電灯を手にやってくるようなところにあるお寺(失礼)。そこにたくさんの人が集まってきている。自分たちも新参者だけれど、ご門徒さん以外の方もいたようだ。網戸にして風が通って最高にいい季候。かつ外から南無阿弥陀仏じゃなくて虫の声、ボリューム大きめ。

 

冒頭の瓜生師のお話だと、前回あたりまで正信偈を38回ほどやって、今日から歎異抄第一条とのこと。おおおおおお、YouTubeでこの間終わったばかりではないか!

心新たに聞く。

というのも、今日の昼に友人からもらった大峯顯先生の法話の録音を聞いていて、ちょうど歎異抄第一条を引いてお話しされていたのだ。

 

歎異抄についてまったく知らない人を前提に、親鸞様生涯を出家、比叡山、法然上人との出遇い、流刑、関東、京都と解説。唯円についても。時代の考察と自信の推察も交えて。

「弥陀の誓願」

の説明で、本願について大無量寿経へ。親鸞聖人が、これは自分ではないかと思ったであろう阿難。どんなに勉強してもお釈迦様のお話を聞いても覚れなかった阿難。一方、なんにも覚えられないが、お釈迦様に言われて掃き掃除をしていて覚ったシュリハンドクの話。ここはめちゃくちゃ受けていた。

仏仏相念を見た阿難が座より起つところから(椅子から起ち上がる)、覚っていないものが覚りの光に照らされることを誓願として描かれるというところで今日はここまで。

充実の5文字。

 

3年半以上で作り上げられた場の雰囲気。ここに来るのが当たり前で来ているような雰囲気。誰にも強制されないで、ここに来たくてきている人たち。お話を聞いている間中、そういうことを思った。なにせお話へ引き込まれて一緒にうねってる感じ。すごい。しかも後半、マイクはいってなくて、地声で熱演!聞く人にも乗せられてるんだな。

 

本当のことを知りたい。どうしてうまれて、いきて、死んでいくのか。死ぬときにすべてを置いていくのに。そして死んだら周りの人も死んでいく。50回忌にもなると自分を覚えている人が誰もいなくなる。なんのために。親鸞聖人が比叡山を下りられた時の話とつなげてこの話をされた。いつも聞かせていただく話。

大峯師は、「如来様のことばを聞いたら死ぬなんてことはない」と今日おっしゃっていた。「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて・・・ここはね、親鸞聖人が本当にこの通りにおっしゃったので間違いない。唯円は書き残してたんじゃない。耳の底にのこっとったんだから。」

今日は瓜生師の話の続きを先に聞いた気がした。

 

◆YouTube「歎異抄」を読む 第一条シリーズ

 

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